アニメが表現の頂点にいるならそれによってすべての表現が死ぬ

最近全然ラノベを読んでない。全然読めてない& 読んでない。歳をとったのか集中するのはすごく難しくなってるんだよなぁ。アニメとか見てても30分集中しきれない、なんか昔の聖闘士星矢とか、北斗の拳とかそういうアニメばっかり見てる。最近のアニメって情報量がすごく多くて、集中してないとお話が分かんなくなっちゃうんだよなぁ。

昔男には良かったって言うつもりはないけれども、昔の人はプロットも簡単でちょっと見直しても全然話がわかるようになってる。ダラダラと見続けるにはとても良い。あと、色数が少なくて目に優しい。輪郭線が追いやすい。聖闘士星矢の劇場版とかものすごく絵がうまいし背景も綺麗で贅沢な作りだなぁって思う。今家を書いている人の方が技術も実力の上のはずなのに、昔のアニメの方が綺麗で面白く見えるのはアニメを見ながらアニメを作ってる世代と、他のいろいろなものを参考にしながら(映画とか)アニメを作ってる世代の違いかなって思う。今は逆に映画がアニメを参考にして映像のディティールを作ってるからなあ…。

表現の上流下流と言うものがあると思っていて、昔は、映画がその表現の上流にあって(ハリウッド映画とか)それを真似るような形で漫画やアニメやその他の表現方法が追いかけていた時代があったけれども、今はそれがアニメになっている。それはいい。

ただそうなっていると、表現の強度と言うものがどんどん落ちていくんじゃないかって思う。昔は、映画が表現の頂点にあったけれども、その状況を成り立たせる為に背景美術であったり、造形作家であったり、または路肩に使う土地や場所や天気や気候や暑さ寒さ、その場にある実物まで作品の中に入り込むと言う、脳内のイメージの外側から来るいろいろなものを作品の中に落とし込んでいた。

アニメの場合、基本的には脳内の完成されてイメージがあって、それをできるだけ正確に出力できるかの勝負になってくる、事故が起こりにくい。想定外の表現があったときはそれは失敗なのでそういうことが起こりにくい。それによって限界があるんだと思う。

アニメが表現の上流にあると、表現自身がドンズまっていくんじゃないかなって思う。いやこれはただの老害のつぶやきかもしれないけど。頭の中で全部できてしまうというのは、表現にとってよくないことなんじゃないかって思う。