インターネットからの文学というところからちょっと考えてみた。
ニコニコ動画から「文学」は生まれうるのか? - あままこのブログの記事を読んで。
- ポンと膝をうつ意見だったし、“文学ではなく民話である”というのもすごいしっくりいった。人口に膾炙しながら、枝葉がそがれて物語の骨格と主要素だけが残された内面の取り払われた物語。確かに。と思った。
- で、そもそも文学が生まれるのかと言った時に、そもそもニコニコどころか、インターネットから発生した文学ってあったっけ?って思った。
- 最近、小説家になろうのサイトの小説を読んでいるんですけれども、読んだ後、すぐに感想を共有できるし(自分が↓みたいな感想の羅列をしているのも事後的なニコニココメントみたいなものを個人的に指向しています。ほかのなろう小説を読んだ時こういう風に感想を共有できるサイトがあったら嬉しかったので)そして、それが、作者の人に図らずもフォードバックされてしまう。(自分の知る限り、エゴサーチをするのを我慢できる物書きはとても稀です)
- 文学は孤独から生まれるし、普通にしててはインターネット上で孤独になる事ってない。
- じゃあ、インターネットから文学は産まれないのか、っていうとそんなことは無いと思う。
- 幽遊白書のOPでも言ってた「まちの人ごみ、肩がぶつかってひとりぼっち」って。ふたつまるをつけてちょっぴりおとなって。
- インターネットで文学が産まれる素地はあると思うんですよ。文章がうまくて、面白いお話をかけるけど、孤独な人って、いるし。
- 漫画ですけれども模造クリスタル | Matogrossoとか、こういう感じで文章を書いてる人もいると思う。
- で、DECO*27 - 音偽バナシ feat. 初音ミク - ニコニコ動画とかこどものしくみ / 初音ミク - ニコニコ動画とか、再生数とか人気もあるし“あ、なんかヤだな”って思う要素のある楽曲も結構あります。
- だからなんだって話ですけれども、たぶん、生まれる可能性はいくつかあって、そう遠くない時期にでてくるんじゃないかなー文学的なのがって思うんです。ただ、それはネット上の小説というよりは、単行本書籍となってしまう気がしますけれども。